インタビューにむけて
豊田会長代行(以下、豊田):
本日は、新鋭経営会社長インタビュー・シリーズに、高橋金属株式会社 高橋康之社長にご登場頂きました。ご多忙の中お時間をご配慮頂きありがとうございます。今回は豊臣秀吉ゆかりの伝統ある長浜の本社にお伺いしてインタビューさせていただきました。
高橋社長は、これまで金属塑性加工総合メーカーとしての独自の高い技術力と旺盛なチャレンジ精神で経営を進められ、 びわ湖の湖畔ではぐくまれた数々のニッチトップ技術を活かした経営を行っておられます。事業内容の詳細についてはこれからうかがいますが、これまでに高橋金属株式会社様の技術力は、第5回ものづくり日本大賞優秀賞、中小企業庁長官奨励賞はじめ数々の受賞でも高い評価を受けておられます。
本日は、高橋社長の企業経営への想い、また、経営理念などの意義などを伺い、経営の神髄を語って頂けることを期待しております。
社長を引き継ぐためにすべきこととは
豊田:
それでは、インタビューを初めさせて頂くに当たり、まず、社長としての出発点といえます会社の経営を引き継がれた時の経緯や事情からお伺いします。
高橋社長(以下、社長):
社長を引継いだのはリーマンショックの直後でした。父である先代も70歳を過ぎ、また、世の中も急速な変化をみせるなか、今までのやり方を見直し、このタイミングで新たしい時代変化を新しい経営者で乗り切るべきであると考えていたようです。以来、社長業もちょうど8年を経過したという事になります。
豊田:
リーマンショックが契機というよりは、先代の先を見通した深いお考えの結果なのですね。
社長:
それまでにも先代とは色々と話をしてきたのですが、承継自体を会社の成長や社員のモチベーション向上に繋げようと考えていました。そういう意味ではリーマンショックは非常に良い機会となりました。ある意味苦しい時期に皆で苦境を乗り越えることが必要ですし、欲を言えば父が健在な間にスムーズな転換ができればと考えていました。
社長:
私は、大学卒業後に他の会社で丁稚奉公をさせて頂き、当社の自社製品立上げへの挑戦とともに帰郷しました。ですがその後すぐに、中国へ移り住むことになります。まだ中国現法を立ち上げる前で、日本では最後発の自社商品(産業用脱脂洗浄装置)を中国での最先端として普及させることと、中国のものづくりを肌身で感じて日本のものづくりの行く末を見定めようという目的がありました。残念ながら、例のサーズ問題により2年程で帰国する事になりましたが、後任者の尽力もあり現在では200人規模の工場を稼動しています。そして中国での経験、または帰国後の関連会社代表の担いや長浜青年会議所の理事長などを経たことが、今の経営スタイルに大きく影響していると感じています。
当社の第二創業期である自社商品への展開は、先代の総決算と私の始動期が重なり合うというか、幹部の世代交代も含めて、次への展開を模索し新たな価値創造に挑戦してきた10年だった様に思います。現在、代表を受け継いで8年。本年は60周年の節目を迎え、第三創業を掲げてグループ経営への移行に取組んでいるところです。
豊田:
その時期にあって、やればやるだけ成果も出せる時期でもあったのですね。何かが変わるというドライビングフォースはあったのですか。
社長:
2009年4月に代表を交代するその前年末に、受け継ぐ前に経営はじめ会社全般に対する社員の本音など実態把握をしておきたいという考えから、社員全員に無記名の100問アンケートをしてもらいました。それまで、先代に対しては経営者としてのみならず、人間的にも大いに尊敬の念を持っておりました。もちろんそれは今でも全く変わりませんが、アンケートでは、評価される意見もあれば、かなり辛辣な意見も寄せられていました。この結果をまとめた冊子には多くの期待や想いが含まれ「座右の書」として大切にしています。それまでは、新しい技術を開発するとか、会社を大きくするとか、会社の真の価値について考えることなく漠然とした目標の範囲で物事を考えていたのですが、このアンケートで指摘された意見の真逆を行うことが、自分の本当の使命ではないかと気付かされたのです。
「顧客第一」から「働きがい第一」へ
豊田:
ところで、現工場は広大な土地に、A.B.Cの3棟を配置され、金属加工業者と思えない工場という感じがしますが、先代の時に建てられたのでしょうか。
社長:
その様な感想は初めて耳にしました。おそらく社員もそうは感じていないと思います。ただ工場の建設などでは威厳というか、社員が家族に誇れる構えにしたいという意識はありました。我が社の仕事は、社員の勤める4、50年間、何に使われるのかもわからない図面と鉄の塊に立ち向かう作業が多いので、その仕事に何か新しいことを掘り起こせといってもなかなか難しいことです。そのことを考えると、メーカーに転身、ようはより良く変化進化していこうとする機運や意欲の沸き立つ環境が重要であると考えてきました。
その意味では、私の代になって会社の性格やイメージは随分と変化させましたし、本年の60周年では、理念やミッションも刷新してDNAごと進化させる気概で取り組みを進めています。我が社の業績を見ても、売上は15年前も現在も約100億円と変わりないのですが、社員数や利益は2倍になり、関連会社の数も4社から9社に業容拡大を実現する事ができました。
このような状況から、常に自ら変化・進化を求めなければ売上も維持できないと認識し、変われば業績は上げられるということを証明できました。この変わる努力の大切さを社員にも訴えています。
豊田:
下請け業者としては、お客様の要求があり、自社製品にしても何が求められているかの情報が大事なのではないかと思われます。御社はホームページなどで「顧客第一」を謳っておられますが、その意味するところは何でしょうか。
社長:
我が社では毎年経営方針の冊子を作成しており、第21期から本年で40冊になります。「顧客第一主義」という考え方は、その第一冊目から掲げられています。それを受けての行動と意識は何なのかを皆で深堀しながら進めてきたので、今ではしっかりと根付いています。
ですが現代または我が社の実情には顧客第一のみでは秩序・道徳・正義が正しく醸成されないと考えています。自分の仕事や会社を愛せない社員が、他人(お客様)を愛すことはできないと思います。ですから我が社では「顧客第一と働き甲斐は比例する」という考えです。前述したアンケートの後に「働き甲斐No1企業への挑戦」を掲げました。当時の我が社にとっては、あまりに突飛な発想だったため社内が随分とざわついたのを記憶しています。今では経営層と社員がチームを組んで「働き甲斐向上委員会」や「わくわく委員会」をつくったりして、労使から同志への活動に努めています。
豊田:
このような委員会活動などは、社員のためであり、いろいろなアクションは社員自らが行われているのでしょうか。
社長:
経営者側からも社員からも両方あります。問題は単に名目だけになってしまうことなので、経営理念にも想いをしたため、その共有・共感(理念や志のもとでは皆平等)を重視しています。
グループ経営理念で謳う人間の尊重:働きがいをきめるもの
社長:
第60期を機に変えたグループ経営理念
『私達の成長で世の中が良くなる会社に』
○ 人間尊重を礎に−人をつくり人をまもる働きがいNo.1企業として成長
○ 進取果敢に挑み−自ら価値を創造するニッチトップ連邦企業として成長
○ 社会使命に尽す−社会課題をビジネスで解決する社会的企業として成長
理念ではこれら3つの成長を謳っております。その第一に働き甲斐をあげました。そのことが実感の伴う成果となっていくように「互尊互敬」と「自己実現」の両輪をそれぞれ定義して、何ができるか、何をすべきかを社員自らが考えていくことを求めました。こういったことから自分達の先輩が築いてきた歴史に矜持を持って、自分達の会社は自分達の手で創る、社長はあれこれ言わないよ、との方針を示しました。
そのことから始まったのが「コネ最優先」という採用指針です。自分達の手で働き甲斐のある企業を創り、自分に関係のある大切な人に是非働かせたいという思いで紹介をしてもらう。最も健全堅実な採用手段だと考えています。ですから、親子や親類関係で共に勤めてくれる社員も多く見られるようになってきました。
豊田:
最初に工場の外観の見かけの話をしましたが、そう意味では、働きがいという内面的な面でも地元の人々に理解されていると言うことですね。
会社の理念とか、社員の意識なども、御社の売りの一つでもあるわけですね。
メーカーとしての商品は:従来のものづくりは残るか
豊田:
さて、企業としての売りとなると、技術的な面がありますね。これまでにも、いろいろな技術が評価されて賞も受けておられるのですが、御社の技術的な売りをあげるとすれば何でしょうか。
社長:
技術の売りについては、これは1番ですよという1つを持つのも重要かと思いますが、我が社の技術部門は「多面的」といえます。そして社内では「自社商品を持たなければ我社は絶対に繁栄しない」ということも周知しています。これは下記の3つを自社商品と定義したことによるものです。
○ オリジナル商品
○ 加工技術(名前を付けてブランド化)
○ ビジネスモデル
先ずは「水で油を落とす」電解イオン水洗浄や「腐らない水」クーラントシステム等のようなオリジナル商品を展開すること。二つ目に代替工法として開発した加工技術「板鍛造プレス」やプレスだけで鏡面仕上げをする「鏡面プレス」更には洗浄や除菌の機能水も特許と名前を冠してブランド化する。そして最後は、お客様の事業価値を向上させるビジネスモデルを独自性や新規性をもたせて展開する事です。これら3つを自社商品として位置付けています。
例えばビジネスモデルの1つでいうと「水陸両用車の6次化サービス」と名を打ち、運送事業→観光事業→車両製造→許認可→運行の各ノウハウのサイクルを回して、いわゆる「6次産業化」を商品として育てています。
社長:
私は従来の下請け型のものづくりはなくなると思っています。いや、長い年月をかけて強みや競争力を失うと覚悟しておかなければならないと思っています。だからメーカーとしての事業を今から育てなければならないのです。
自分達が技術という競争力を持って、それを商品に変えて、出口を自ら見つけ、その出口を関連会社として事業化するという仕組みで実践しています。この取り組みによって、他のお客様からの受注以外に自らものづくりの必要性を生み出して、縮小する国内の下請け製造ボリュームを補っていこうと思います。当面はそのバランスが重要であろうと考えています。
三つの技術開発を活かす:タイアップ開発と技術のブランド化
豊田:
その実践には、やはり技術が必要で、その技術、場合によっては固有の技術をもって、回していかなければならないでしょうね。その場合、その回し方は、高橋金属の中でだれが担うのでしょうか。
社長:
その点は非常に大切で、社長を除いてその役割を担うのは開発部門です。中小企業でありながら3つの開発部門があります。
豊田:
その開発を担っておられる人は何人ぐらいおられるのですか。
社長:
1つは自社の製造に直結したいわゆる生産技術部門に10名、2つ目にオリジナル商品の開発部門に12名、3つ目に新工法の開発部門として6名になります。
開発は、
○ 高度コア技術開発:受託生産が対象で、補助金を活用して技術開発部が担います。
○ オリジナル商品開発:自社商品が対象で、自社の予算で商品開発部が担います。
○ タイアップ開発:お客様商品が対象で、お客様の予算で生産技術部が担います。
この三つの開発部門が、それぞれの任務を担っております。
最後のタイアップ開発は、お客様と我が社のプロジェクトチームで、お客様の開発費用を活用して共同開発するものです。お客様としても目処が立たない、又は主製品でなくあまり自社ではやりたくない派生製品をこちらでやりますよ、とお引き受けします。また、最初の高度コア技術開発は、代替工法や工程削減につながる高度な加工技術を、サポイン等の補助金を使わせて頂いて、大学やお客様とのフォーメーションで取り組みます。このように、主管となる部門を分けて取組んでいます。
その中で、タイアップ開発については、ビジネスモデルという括りで「ワンストップサービスPlus+(OSSP+)」として、開発した技術でお客様の事業価値を向上させるビジネスに繋げています。
豊田:
このタイアップ開発は、下請けからの脱却という方針の具現化そのものですね。お客様の資金を活用しながらも、あわよくば自社製品にということでしょうか。
社長:
そういうことにもなりますが、要は開発した技術要素をお客様に説明し、その提案に乗って頂くことが、我が社のサービスであり、競争力の強化につながるものと考えています。
豊田:
それともう一つ、加工技術に名前を付けて「ブランド化」することは、当初は単なる下請け技術であったものが、ブランド化することで、自社商品となると言うことでもあり、技術に価値を付けるということですね。この発想は素晴らしいものと感じます。
社長:
我々が加工技術をブランド名で呼ぶとお客様も口にされ、加工技術が単独で存在感を持つようになります。例えば、お宅の「鏡面プレスを…」と言われると嬉しいですね。
豊田:
今お話しいただいた点などが御社の売りでもあり、アプローチの仕方でも新しいアイデアを取り入れておられると感じます。
ただ、これまでのただ単にプレスで打ち抜く的なことから、同じプレスでも、ねじ転造プレスのような付加価値を付ける加工法などが、主流にしようというお考えのように感じます。ただ、ものをつくるには、従来型の単純ともいえる加工技術が必要なわけで、この両者のバランスが重要になりますね。
結局、「変えるモノと残すモノ」とのバランス感が求められるのでしょうね。
社長:
その点は中国にいった経験が役に立ったとも感じています。中国生活時はちょうど中国の人件費が安いということで、日本からも多くの企業が進出していった時期でした。当時は私一人、大阪の材料商社である阪和興業さんの事務所で机をお借りしていました。そこで見たものは、ついこの前まで日本で造っていたものを、日本技術者の指導の下でどんどんと低価格量産されていくというものでした。これには否が応でも相当な危機感をもって日本のモノづくりを変革しなければならないと痛感させられました。これには例えば効率を上げるといった様な改善程度ではなく、新たな付加価値をもって、全く異なる存在感を見出さなければならないと思いました。それが下請けでありながら開発力のある「技術メーカー」になるというものでした。しかし開発といっても自前だけではなかなかできないので、産学連携や補助金を通じて、人材・知識・資金などあらゆる面で連携や支援をいただき、開発を通じて常に進化できる体制を構築していきました。社内では何をしようとしているのかとの疑問の声もありましたが、技術開発の専門部隊を創設し、失敗を許容する寛大さをもって少しずつ前進させていきました。
豊田:
現実には、社員の皆さんは常に上を見ていますから、方向性を示すことが重要で、ついてくるだけの大きな意思を示されたと言うことでしょう。結局は成功例がカギだったのですね。
社長が目指すこの方向は、今後も定着するでしょうか。
社長:
十分に期待できると考えています。
事業の展開の方向を決めるもの:全員が参加する改善活動を根付かせる
豊田:
ところで、企業のキャッチフレーズに「ニッチトップ連邦企業を目指す」とあげておられますが、その意味するところをお話いただけますか。
社長:
一般には、これをやれば世界を制覇できると考えて事業の目指す方向を決めていかれるものと思いますが、下請型でやってきた一中小企業が突然に世界を相手に事業を描いても身の丈を超えた話かと思います。我が社では、何をやって何をやらないのかの基準を決めています。それが「百年後も成長し続ける条件」です。
【百年後も成長し続ける条件】
○ 社員を最も大切にする
○ コア事業を大切にする
○ 身の丈経営を心がける
○ 時代に応じ変化に挑む
○ 社会的な使命を持つ事
の5つです。すなわち、コア事業を大切にして、身の丈を超えてはならない、と。
この条件からいくと、いきなり会社を覆すような方向は目指さないといえます。
豊田:
多くの企業において、やはりコア事業を大事にしておられるところが多く、コアを捨てての大博打は、多くの社員の生活を預かっておられる経営者にとってなかなか難しいことですね。ベンチャーとして起業する場合は別でしょうが。
社長:
そうですね。いったん会社を他に預けて、独立してやるのならいいとは思いますが。課題は、社員を大切にすることと発展を目指すことのバランスをどう取っていくかでしょう。
豊田:
そういう意味では、企業の継続の観点からのアイデアをお話し頂いたと思いますが、「百年企業」という100年を目指されるときには、経営者としてのビジョンを示す必要があり、それを皆が意識しないとダメでしょうね。そのあたりへ何かお考えがありますか。
社長:
あるのは事業の領域というか一つの方向性を示した「事業ミッション」でしょうか。これは昨年から示したもので、岩田先生はじめ新鋭経営会で学ばせて頂いたことを実践させて頂いています。
【事業ミッション】
○ モノづくり事業「技術立社」最大より最高を求めモノづくりの異端児となす
○ 環境づくり事業「環境設計」地域社会の課題からあるべき姿をデザインする
○ コトづくり事業「事物協創」モノとコトの一体化から新たな価値を創造する
他に具体的なプランを皆に示しているものはありません。ただ社員との約束ごととしては、百年後も成長し続けているために必要な基盤はどんなものかを話し合っています。成長するということは変わり続けるということであり、あらゆる変化を受け入れるということ。これを大前提として、逆に変わらないために必要なことや大切にすべきこと(理念の浸透・人間道場・スピリッツ等々)も整備しているところです。
社長:
こういった事を徹底させると言うことは、日々の仕事とどの様にバランスを図るかが課題でしょうね。私の仕事は日々の仕事をこなすことで、そこまでですよと限界を決めないようすすることが大切かと考えています。
現状を見ると、変化を求める活動に参画する人が必ずしも十分とはいえませんが、過去と比べれば大きな進展を感じています。例えば、過去の改善活動は上から強制されて、やらされ感があってもいいという中で取組まれていました。それでも一定の成果はあったようですが、今は自主自立に主眼を置いた「ZENKAI活動」(注:全員参加×全力×全員)というボトムアップ型の全社改善運動に進化しています。運動は「意思ある全員参加」を最優先としたやり方になっています。この活動に経営者はほぼ直接関与はしません。評価は社員同士で点数を付け合って指摘したり褒め称え合ったりします。これをしよう、あれをしようと互いに切磋琢磨して自分達で成長していくことが狙いです。
豊田:
この活動は全員参加で、定期的に行われているのでしょうか。
社長:
部署ごとに行われるもので、必ずしも定期的ではないのですが、全体の発表会は定期的に行っております。
豊田:
これまでにも、我が国の企業ではQCサークル活動などが、いろいろと形を変えて実施されてきているのですが、ある意味新しい形の改善や変革を求める活動といえますね。
社長:
これまでにも我が社では同じようなQC活動もやってきましたが、大きな違いは、やらされているのか、自主的にやるのかの違いです。
豊田:
この活動が根付くまでには、どの程度の期間がかかったのでしょうか。定着したことはたいしたことですね。
社長:
ここに社員手帳がありますが、ここには上司とのやりとり等が書かれています。この手帳の提出率は今では毎月100%となっていますが、始めた頃は、何故このようなことをしなければならないのか?したら何の得があるのか?との声もありました。根付くのに数年かかりましたが、大切な事は「動機づけ」だと思います。現在では派遣社員(現在社員数280名にプラス約70名程度の派遣社員数)の方々にも定着しています。
「人」は宝:人財の養成
豊田:
これまでのいろいろな話を伺っていて、やはり「人」あっての会社であり、人を非常に大事にしつつ、会社はその人(社員)のためのものとの意識が強く感じられます。そのあたりが、先にお話のありました、採用に当たってもコネを重視し、親子代々ということにもつながっており、入りたいと思わせることが活動の成果でもある訳ですね。
社長:
働く環境や条件、または成長につながるか否かなど、地方の中小企業ですから、良いことも悪いことも細かいところまで勝手に知れ渡ってしまうものです。その意味では、周りの採点は厳しいですよ。それに、地域に暮らす人々にとっての企業、企業にとっての地域の人々と、互いにどの様な価値提供をしていくかを考えておくことも重要ではないかと思います。
豊田:
そのような意味で、社員を非常に大切にしておられるとの印象を受けました、入り口のところには、社員さんが自由に交流できるような建物も建てられているとかうかがいましたが。
社長:
「夢オイデー」ですか。夢を追う部屋ということで、私がつくらせました。その活用内容は社員が考えてくれましたが。
グリーンカフェといって主に「夢追部」という名の誕生会や様々な人材交流の場として活用しています。夢追部は夢を語らう場という想いでつくってもらいました。その活用内容は社員が考えてくれましたが。
岩本:
婚活もされているのですか。
社長:
そうです。「癒しの研究所」という別会社を設立して、地元観光地である黒壁で洋食レストランROKUと長浜オルゴール堂を運営しています。もう一つ、T&Tコーポレーションという運送と観光を事業とする別会社でも、黒壁内で水陸両用車の観光運行をしており、この三つを組み合わせたプランで社内外を対象とした婚活パーティーを開催しています。昨年も6組のカップルが誕生して、そのうち高橋金属と別会社のシガスプリングの社員がめでたく成婚となりました。他にも2組が続いているという事で、今年も開催を予定しています。
豊田:
このような例からも社員を大事にしておられることが伺えます。
社長:
ですが人は優しさだけではついてきません。厳しさや挑戦機会なんかも大切で、例えばZENKAI活動では考える事が嫌な人や年を取っても同じように頑張らなければならない事が大変であるという声も聞こえてきます。ですが、それも働き甲斐として前向きにとらえお互い約束事は守りましょうと頑張ってもらっています。これらの活動は、ただ仲良くやろうということでなく、常に考えるという習慣となって現場力の向上につながる事を期待しています。
新しい技術が生まれる:産学連携と営業との連携が生きる
豊田:
その意味で、技術を維持し、伝えて発展させるための活動も何か行っておられますか。
社長:
はい、新しく建設したC棟に「安全道場」と称するものを創設して安全教育を行う道場としてスタートしました。ですが今は、そこを「人間道場」として、我が社のシニア社員の方々に中堅・若手に対して社会人として重要なことや、我が社の基本技術、更には各種資格の勉強会や心構えなどを指導してもらっています。勿論、安全の教育も大事ですが、我が社にとって新しい技術などは重要な教育ポイントと考えています。
この道場の目的は知識のみでなく、自らが向上心を常に持つことの大切さや素晴らしさに気付くものでもあります。単に技術開発だけを目的化してしまうと知識だけを得て、それを知恵に変えたり、アウトプットする重要な点が意識されません。この開発で誰が喜び、また収益としてどのように返ってくるかを考えてもらわないと、技術のみが伸びて実りない例も多いのです。このように技術開発と人間性の向上は両輪であると考えています。
豊田:
技術開発では、先ほどの三つの開発の方向の中で、社外の人財と資金までも活用した連携を重視しておられるように感じましたが、産学連携についてもかなり活発に行われているのでしょうか。
社長:
はい、確かに様々な連携を推し進めています。資金獲得のみならず、外の人との繋がりを戦略的ネットワークと名付けてその重要性を周知しています。ただ最近では、技術開発そのものよりも発信する方のセールスプロモーションに悩んでいます。どうすれば真のお客様に正しく情報をお届けできるのか、または強く興味を持っていただけるのかと。今ではそういったところまで大学の先生方に指導頂けるのでありがたいです。現在の産学連携は加工技術分野が多いのですが、サポインでは色々と幅広くご指導頂きました。その後も定期的な指導や勉強会を続けて頂いています。
豊田:
うまく「人」を活用することは大切で、特に大学人は、好きなことをやり、役立つことなどあまり考えない連中も多いのですが、やはり力を持っていますので、うまく活用することが重要でしょうね。大学はある意味自由人が多いので、企業にとっては、彼らの自由な発想をどのように活かすかが、産学連携のポイントかと思います。
社長:
勉強会では大先生を前に話を聞いて「うん、うん」と頷くだけでなく、何を引き出すかが大事なのだと言っています。そのためにも、常に何らかの問題意識を持って、どの様な課題を解決してもらいかをよく考えないといけないですよね。
豊田:
そうですね、産学連携では、いかに先生方のアイデアを引き出して、それを自社の技術として活用するかをしないことには、本当の連携にならないですね。その意味で、サポインも、学主導型のものは得てして難しい状況で、産が積極的に知恵(シーズ)を引き出し、それをうまく加工して新しい分野を創造しているところはうまくいっている感じもします。
社長:
当社でサポインなどの支援事業を担っているチームは技術営業グループといって、その名の通り営業と技術が一体となって共通のミッションを持って活動しています。この繋がりが大変重要なのです。
豊田:
そうですね、開発のネタはお客様が困っているところにあるとよく言われますが、その困っていることをしっかりとつかむべき営業との連携は、うまく組織を作っておられるのですね。
社長:
そこは上手くやれている部分だなと感じています。開発が単なる開発で終らないことが重要で、意地でも実益に繋げないことには技術開発とはいえないと強く意識させています。たとえ技術が実を結ばずとも「人の成長」はついてきます。そういう意味では開発には一切の無駄もないと思います。
豊田:
開発は、営業(お客様)との繋がりと意地でも繋げる、の二つがポイントのお話で、その中でも無駄を無駄にしない、「とことん」を求めておられるのですね。
社長:
そうですね、とことんやっている時に社長がダメと言っては探究心や挑戦意欲を失わせかねません。
一方で、技術が生まれるまでの過程における失敗に関しては「寛大」にと考えています。加工技術でいえばたとえ失敗して金型がダメになっても、それまで十分に考え挑戦的に取り組んでいるのならその失敗も活きると思います。大切な事は、諦めることなく次々と連続的に新たな発見を続ける事であると考えています。
豊田:
御社では、世界初の「板鍛造プレスにおける金型内ねじ転造(雄ネジ)工法」を開発されていますが、あのような技術は突然に生まれてくるものではないように思われますが。
社長:
そうですね、正直言うと鏡面プレスも板鍛造技術も果たしてできるかどうか全く分からない状態で始まり「できたら凄いよ!」という感覚でした。ただ、裏を取っているとすれば、我が社には職人と位置付ける人材が数名いてくれます。その現場職人としての感覚でどの様に思うのかを聞いて確認を取ってはいました。いずれにしても、想いが強く諦めの悪い技術者達だからこそ成果を導けたのだろうと思っています。
社長:
特に自動車関連の製品ついては、我が社のような中小企業は容易に参入する事ができません。ですから他社にない技術でももって挑まなければ競争の土台にすら上がれないという問題がありました。難しい中、その苦境を乗り越えるために一つ一つ技術の応用を増やしてきたのが実態です。
そのようにして開発を進めていくと、鏡面プレスを例に言えば、想定外の全く新しい分野のお客様から声を掛けて頂けることもあります。最初は家庭用LEDのリフレクターを対象に大手電気メーカーと進めていたものが、実際には医療用検査機器のX線装置や下水処理施設への展開など予想できない分野へと拡がっていきました。実際の活用例をみると、従来の反射鏡の製造法とは全く異なるプレス製品の採用など想像し得ないものばかりです。
実はこの鏡面、面白いことにプレスだけでは製品にならないのです。我が社の自社商品として開発した電解イオン水洗浄のある条件で洗浄をすると、脱脂とともに表面にできる目に見えない皮膜が形成されてプレス後の経時変化を避けられる事がわかったのです。偶然見出せたものではありますが、これらが評価されてものづくり日本大賞につながったのだと思います。
豊田:
今の話のように、売れる製品に結びつくものは、社ではこのようなものが造れますよというものと、お客様の方からこんなものをくれないかの二つがあろうかと思いますが。
社長:
そうですね、この鏡面プレスなんかは技術の芽ができ、サポイン支援事業で完成させ、展示会などの出会いを通じて応用範囲が拡がっていきます。現在進めているオートバイのライトなどは専門誌でこの技術を見られてご依頼の打診を頂きました。新たに生まれた技術がよければ適用範囲は自ずと拡がっていくということが実感できました。
また、板鍛造については活用範囲が広いので、こちらからお客様に応用検討を持ちかけると定期的な会合の場ができて、連続的な採用の仕組みとなる場合もあります。この様なお客様との繋がりは非常に大切なものと感じています。
海外戦略は:地元を大切に
豊田:
琵琶湖周りにはプレス屋さんが多い気もするのですが、プレスで作れる製品を見ているとき、プレス加工はすごい技術であることを実感しますね。
社長:
このような動きが出てきたのは10年ほど前からでしょうか。多分、プレス加工の応用に行き詰ったのではないかと思われます。一般的なプレス加工は加工賃の安い国々でも手に入るので、海外進出して新天地で争うか、国内に留まって新たな価値を求めるかに道が分かれたように思います。当時は国内にも必ず名前の挙がる有名なプレス会社が10社前後あったように思いますが、その殆どが海外に発展を求められ、既に主力は国内にありません。そして現在の主要な国内プレス会社は過去とは異なる会社が多く、技術的な競争優位性の高い会社ばかりです。
豊田:
付加価値を付ける技術力の評価は難しいですね。潜在的な技術力はどこの会社でも眠っているものですが、それが顕在化することが難しく、それが企業経営に大きな影響するところでもありますね。経営者が見逃しているものも多いのではないかと感じています。
豊田:
ところで、高橋社長さんところは、海外に中国とタイに工場をお持ちですが、海外戦略はどう考えておられますか。
社長:
中国とタイの法人については好調が続いています。大きなポイントの一つには「貿易」をしてこなかったことだと思います。円高の時には国内のお客様からも強く求められましたが、頑なに断らせて頂きました。自分達でコントロールできない為替で左右される事業はどうしてもやりたくなかったのです。
もう一つは、海外でも日本同様に下請け型加工と自社商品の2本柱で運営している事も安定感につながっていると思います。
人に関しては、日本から中堅技術者を「最低3年、最長5年」で派遣しています。また、経営トップについては、今はまだ日本人ですが今後は現地人への交代を予定しています。
もう一つ、海外では知財も難しい問題です。中国のお客様には当社のライバル企業に既納入の当社設備をスケッチさせて、安価にコピーを造らせたりもします。
社長:
その様にどの国でも色々と問題はありますが、私が経営している間は撤退することは全く考えていません。重要なことは、日本同様にその地と人を大切にすることだと考えています。地元の人とその人々を育んだ地や文化など様々なことを汲んで経営判断していくことだと考えています。現地の人々の活躍による発展を求めていくことで、その点は十分に理解されていると思います。
豊田:
結局は、日本海外を問わず、従業員との関係は非常に大切なポイントですね。
社長:
そうですね。以前、タイで現地調査をしていた時に、日本から持ち込んだ有害性の高い中古洗浄機を無防備なまま現地人に使わせて、廃液処理をも不法処理していた日系企業に「何てことをしているんだ!」と怒鳴った事があります。他国では人も地域も、日本の素晴らしい人間性や高い技術力に期待して共に良き社会をつくろうとしているのに、それを裏切るような行為は到底許せません。国内で評価されている企業なら、海外でもその姿勢は絶対に変えてはならないんです。
地元を大切に:地域振興への貢献
豊田:
さて、いろいろと事業の話を伺ってきましたが、高橋社長は、ここ長浜の地元の振興などにもいろいろな役割を果たしておられるようですね。
社長:
はい、非常に前のめりです。父である会長も商工会議所の会頭など多くの要職を務めて、地域に多大な貢献を果たしてこられました。自分達の地域は自分達でつくるという自治意識の強いこの地において、その中心であったのが長浜青年会議所です。その理事長を親子ともども務めさせて頂き、経営者として求められる資質素養を磨いてきました。
これまで色々とやってきましたが、現在は会長はじめ多くの地域経済人の方々と「黒壁」の振興に注力しています。(注:黒壁スクエアは、滋賀県長浜市旧市街にある伝統的建造物群を生かした観光スポット。黒漆喰の和風建築である「黒壁1號館」から「30號館」までの総称である)。人の数より犬の方が多いといわれた商店街周辺を、年間200万人規模の観光地に生まれ変わらせ、地方創生の成功例として注目されるまちづくりです。こういった場において色々な業種の方々と議論することで多くの刺激を受けています。地域のために損得ではなく、皆が志で動いている訳です。企業にとって最も大切な人材が、何をもって働き甲斐を感じたり、どの様にしてモチベーションが高まるのかなど、今でもまちづくりを通じて企業経営にも通ずる多くの事を学ばせて頂いてます。あらゆる事が「自分磨き」に繋がっているのだと実感しています。
終わりにあたって
豊田:
長い間いろいろとお話お聞かせ頂きましたが、いつもインタビューの最後には皆様にうかがっているのですが、社長の人生観や後進への想いをお聞かせ下さい。
社長:
人生観というものでもないですが、私が大事にしていることは「自分の背中は他人に見せるためにある」という事です。大切なことは「生き様」であると。
今や様々な情報が簡単に手に入り、受け売りでも大切なことや素晴らしいことを発信するのは難しくありません。ですがいかに言葉巧みに説いたところで、志や矜持をもって背中で語るものがなければ人はついてきません。加えて言えば、因果応報ではないですが、自分が会長など目上の者を敬わなければ社員が私を敬うことはないでしょうし、若手社員で言えば先輩がマニュアルになります。部下のできが悪いのではなく全て自分のせいであると考えなければならないでしょうね。その様に理解し実践されると、先輩は敬われ後輩はその背中を見て成長するものでしょう。
豊田:
難しいことではありますが、良い背中を見せることですね。それでは最後に「座右の銘」をうかがいましょうか。
社長:
敢えてあげるとすれば「上下欲を同じくすれば、すなわち勝てり」(下注)でしょうか。
例えば、高校野球では1年生から3年生まで、監督や周囲の応援団まで全ての人が目的目標の共感関係にあり、志で結ばれた最も強い組織であると思います。そのように常に欲(希望・目標・向上心など)を同じくする同士でありたいと思っています。
豊田:
それでは、本日は長時間にわたりいろいろな観点からのお話を承り、経営と人間のあり方まで、広範囲の社長の想いをお伺いできましたこと御礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
【註:「上下欲を同じくすれば、すなわち勝てり」】
孫子の言葉で、
『故知勝有五。知可以戦与不可以戦者勝。識衆寡之用者勝。上下同欲者勝。以虞待不虞者勝。将能而君不御者勝。此五者知勝之道也。故曰、知彼知己者、百戦不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戦必殆』
(勝を知るに五あり。戦うべきと戦うべかざるとを知る者は勝つ。しゅうかの用をしる者は勝つ。上下の欲を同じくする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰わく、彼を知りおのれを知れば、百戦してもあやうからず。彼を知らずして己れを知れば、一戦一負す。彼を知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし)。
勝利を知るためには5つの方法がある。第1は戦うべき時と戦うべきでない時をわきまえていること。第2は大軍と小勢のそれぞれの用い方を知っていること。第3は上下の人々が同じ心をもっていること。第4は万全の態勢を整えて油断している敵に当たること。第5は将軍が有能でしかも主君が干渉しないこと。これら5つを守れば勝負に勝つことができる。言い換えるならば、「敵を知り己を知れば百戦危うからず。敵を知らず己のみ知っていれば勝ったり負けたりし、敵を知らず己も知らなければ戦うたびに必ず危険な目に遭う」ということを言っています。】(Wikipediaより)
(インタビュー後記)
インタビューが進むにつれて高橋社長様の話が弾むのですが、話題が経営に入るたびに、「人間尊重を礎に」の気持ちが伝わり、社員の生活を預かる経営者としての人間性が感じられました。非常にざっくばらんに話して頂き、働きがいのある企業への熱い想いが感じられました。更に、今後の人材の多様性についての想いや婚活まで配慮された具体的な実践の数々も驚きでした。
技術力の高い開発部隊を抱えておられるとともに、失敗にも寛大にと、社員の意欲を引き出す意識改革などは実を結んでいると感じられました。
特に印象的なことは、従来のものづくりはなくなるとの、ものづくりへの変革の強い想いの発言です。ある意味、自社商品を持たなければならないという「価値づくり」の実践であり、変わらなければとの想いと、そのために新しい展開を社員とともに創り上げることを的確にリードしている姿は、今後の発展を期待させるものといえるのではないでしょうか。
なお、長浜は、戦国時代の物語が始まると、必ず搭乗する場であり、琵琶湖に面して再建された長浜城は、秀吉が最初に造った居城でもあった。また、浅井長政の居城であり、お市の方の3人の娘の話は余りにも有名で、駅前の土産物屋でも、お市物語のようなお菓子がある。有名な黒漆喰の和風建築の保存がなされている。
その長浜にある企業の高橋社長のお話の端々に長浜への郷土愛が大きく感じられ、地元のいろいろな役職も、当然時間外に努められるなど、地元のための企業という信頼を生み出している感じも受けました。今後の新しいコンセプトに基づく、更なる発展を祈念しつつ・・・・。