インタビューにむけて
豊田会長代行(以下、豊田):
本日は、新鋭経営会社長インタビュー・シリーズに、金剛株式会社 田中稔彦社長にご登場頂きました。ご多忙の中お時間をご配慮頂きありがとうございます。特に、今回は熊本の本社にお伺いしてインタビューさせていただきました。
田中社長は、これまでの企業経営へいろいろな取り組みをなされ、単に単品の棚を作ることから空間のデザインへという特長ある経営を行っておられます。熊本に拠点を置いて優れた企業経営について伺うことは大きな意味があるものと感じております。数々の商品のグッドデザイン賞金賞を4回も受けられるなど、いろいろな受賞とともに社会貢献でも高い評価を受けておられます。
本日は、田中社長様の企業経営への想い、また、経営理念などの意義などを伺い、経営の神髄を語って頂けることを期待しております。
熊本地震の被害と初期対応
豊田:
田中社長に御社の経営について詳しく伺う前に、やはり、先の「平成28年熊本地震」の熊本地方を襲った大地震による被害の状況やその被害からの復興についてうかがわざるを得ないかと思います。
20年以上も前になりますが、阪神淡路大震災のときは、未曾有の被害で、人的被害はもとより、建築構造物などの被害も甚大で、当時の鉄骨建築の被害の調査や、その後の構造設計や構造材料、構造物の施工のあり方について10年あまりにわたって研究させて頂きました。また、東日本大震災の折りには、その1か月後に仙台と石巻に入り、被害状況を目の当たりにして、インフラ、生活環境のあり方はどうあるべきかを考えさせられました。被害を受けられた方々の今後はどうなるのかが一番の心配事でした
地震のような災害では、被災時の緊急対応、その後の復興対応、今後の防災対応の3段階が重要かと思われます。先ずは、御社社屋及び社員の皆様などの被害状況からお聞かせ下さい。
田中社長(以下、社長):
熊本地震では、皆様にご心配頂き、いろいろな励ましの言葉を頂戴し、本当にありがとうございました。
去年の4月14日に、今となっては1回目の前震といわれる地震が午後9時過ぎに起きました。そのとき自宅にいたのですが、ひっくり返るような揺れがきて、これは大変だ、この状態なら、会社の方もきっと大きな被害を受けているに違いないと感じました。そこで、社員と連絡を取り合ったところ、社員は家族も含めて大きな怪我もなく無事であることを確認できました。その点についてはまず安心して、その日は木曜日でしたので、翌日金曜日にみんなで整理を始め、土・日はみんなで頑張って来週から平常の状態に戻そうと話し合っていました。
このような状況で、とにかく復旧作業を進めていた土曜日の未明に、本震と呼ばれる二度目の大きな地震がきて、これはとんでもないことになったのではと感じました。
豊田:
いわゆる前震のときとは全く違う揺れを感じられたということでしょうか。
社長:
それは全く違っていて、立っていられないほどの揺れでしたし、自分の命もどうなるか分からないと感じたほどでした。揺れが収まった後も、このような状況では、会社もどうなっているのか、また、社員達も怪我や、ひょっとすると命に関わる状況もあるかもと心配しました。
そこで、夜中の1時頃でしたが、至急連絡を取り合って、出て来られる者だけでも集まることを指示し、2時、3時になって幹部が集まって協議を始めました。
豊田:
連絡は問題なく取れたのでしょうか。何か工夫をしておられたのでしょうか。
社長:
そうですね、東日本大震災の時に連絡が取れずに非常に困りました。その折りに当社の東京事務所の社員同士は、Line、フェースブック、ツイッターとかで互いの安否が確認できたと聞いていましたので、非常時の社員の連絡は、社内のサーバ型の連絡網から、全員にグーグルのG-mailで連絡を取り合うことに切り替えていました。クラウド系なので比較的強いだろうということで、それが今回は功を奏したと言えます。1回目の地震の後も、社長から全国に散らばっている300人の社員に連絡し、それぞれに確認を入れるように指示しました。本震の折にも同じようなやり方で、比較的スムーズに連絡が取れ安否確認ができました。
豊田:
甚大な被害状況の中で、人的被害が少なかったことは不幸中の幸いでしたね。ただ、会社としては大きな被害で、その被害額の大きさからも、かなり心痛められたのではないかと感じます。このような被害に対して直ちにお取りになった対応についてお伺いできますか。
社長:
確かに、生命に関わるという意味では幸いだったのですが、会社の方は大変な状況で、設備や家具はひっくり返った状況でした。前震の時にも確かに設備が損傷しており、なんとかみんなで再開のために片付けようと頑張っていたのですが、その最中に本震がきて、復旧作業を進めているみんなの気持ちまでもつぶされたような感じで、しばらく手が付かない雰囲気でした。しかも、建物の屋根には畳十畳分ほどもある大きな穴が空いてしまい、普通の応急処置では済まない状況でした。しかも、その翌日の日曜日には、熊本地方が暴風雨に襲われるとの予報が出ていました。本震のあとも震度4程度の余震が続いており、屋根に空いた大きな穴を塞ぐなど危なくてできません。頭の中を切り替え、今集められるだけのブルーシートをあつめ、屋根の穴から入ってくる雨風は仕方がないので、下にある機械に、優先順位を付けて、大事な機械をまず守ろうと指示しました。これによって、日曜日の雨においても、一番大事な生産設備はとにかく守れました。でも、雨風が通った後は、工場内は水浸しで、天井には大きな穴が、配水管からはザーザー水が流れている状況で、実にひどい様子でした。
そんな中で、以前から工場をリニューアルしようと考えていて、建設会社といろいろとやりとりを進めておりました。それが県外の建設会社だったものですから熊本地震でも被害を受けておらず、隣の佐賀県から駆けつけてくれまして、その翌週には応急処置していただき、建物は比較的早いうちに応急修理ができました。
一方、機械の方は、雨風をしのいで、なんとか修理などをして動かすことはでき、3日後には稼働できるようになりました。ただ応急修理の機械ですので、どうしてもできないところは人の力でカバーしながら作り上げようと、復旧作業を進めつつ、4月25日には出荷にこぎ着けることができるようになりました。
復旧の次の復興のステージでの決断が問われる
豊田:
大きな被害を受けた状況で、応急的な処置がある程度功を奏したことをお聞かせいただけましたが、阪神大震災の時の神戸での工場の復旧状況をお聞きしたところでは、応急処置では生産性を戻すことには難しかったようですが。
社長:
確かに、それはあくまでも応急処置であり、生産性ということで見ると、本来の30%ぐらいしかなかったのです。それから少しずつ改善していこうと思ったのですが、5、60%までくるとそれ以上には戻らないのです。とにかく心臓部がやられ、これも後で気づいたのですが、地面にも割れが入っていて、機械が傾いてしまっているのです。機械の水平レベルが狂ってしまい、生産されるものが不具合だらけなのです。それをなんとかごまかしながらやるわけで、なんとか元に戻せたところもありましたが、一番大事な塗装ラインがどうしても回復できなくて、今も生産性は半分程度に落ちた状態です。
豊田:
被災したときに先ずは、生命が第一で、その直後は、生きるという生活の環境を先ずはどう整備するかという緊急時対策が優先されます。会社としては、生産体制は取り敢えず整えられて一段落した後は、この被災をどのように乗り越えて復興するかということになりますが、そのあたりのメドを付けるに当たっての判断のご苦労、あるいはリスクマネージメントに対する教訓などお聞かせいただけますか。
社長:
応急的な修復などで生産は始まりましたが、生産が7割に落ちている状況をカバーするためには、外注に回さなければならない訳です。今までも9%ぐらいは、外注していましたが、地震後は外注費が36%と4倍に増えました。お客様に納めるために、今まで自社で造っていたものを、よそに頼んで造ってもらうということになり、確かに協力していただくことはありがたいのですが、採算という意味では、とんでもない赤字が積み上がることになり、造れば造るほど赤字が膨らんでいくことになりました。現在は、なるべくそうならないように工夫をしながら、採算性が戻りつつありますが、利益を目指すということは難しい状況です。
そこで、ここは生産設備をリニューアルし、損傷を受けた設備などを入れ替えようとしたのですが、そのためには、この生産をいったん止めなければなりません。私どもの商売は、お客様との継続的なつながりで続いていますので、半年、1年止めてということでは、お客様との取引ができなくなり、事業が継続できなくなります。
そこで、再建策は、新しい工場を建てて、造れなくなっているものも自らの手で造り、自ら生産する体制を新しい場で創り上げようと決断いたしました。
豊田:
そのための新しい土地を手当てされたわけですか。
社長:
はい、ここから15キロほど南のところで土地を取得しまして、新しい建物と、問題となりました塗装ラインも一新して設備を導入し、60億円の投資を行って、新しくスタートを切ろうと決断しました。
豊田:
せっかく新しい工場を創り上げられるということで、何か新しいアイデアを導入されるのでしょうか。
社長:
それがまさに「新鋭経営会」で学ばしていただいたポイントで、今まで発表させていただいたように、自分たちのものづくりにもよい部分はあるのですが、やはり弱い部分も、結構気づかさせていただきました。新鋭経営会の経営者の皆様がいろいろと工夫されており、我が社もこうありたいなと思うことが多々ありました。折角生まれ変わるのですから、我々もそういったことを実践し、理想を求めようと思いました。そのようなわけで、新工場では、新しいアイデアを導入し、高度な生産性を追求したいと思っています。
豊田:
その高度なというポイントは何でしょうか。
社長:
そうですね、一つはIoT技術との連携ですね。それから、人工知能はどれほど入ってくるか分かりませんが、ロボットを含めました、できる限り、多品種少量生産である製品を、「スピーディー」に、「柔軟に」に生産するということを目指します。
豊田:
御社の製品は、同じものを大量に流すという少品種大量生産でないので、製品ごとに要求が異なる品種が多いわけで、それに対応できるフレキシブル生産システムが求められるのですね。いろいろノウハウもあろうかと思いますので、詳細は改めてお聞かせいただくこととし、復興を越えた決断に敬意を表したいと思います。
安心と先進で社会文化に貢献:金剛が人々の幸せの希求のお手伝いを
豊田:
それでは、話を企業経営のポイントに移ることとし、先ずは、御社の企業理念についてお聞かせ頂きたいと思います。
ホームページを拝見すると、「安心と先進で社会文化に貢献する」を企業理念としてあげておられますが、企業の変遷から見て、その理念の意味・意義をお聞かせくださいますか。
社長:
はい。当社は本年で70周年を迎えます。元々事務機の販売店でしたが、途中でメーカーに転じ、金属製品のものづくりをここ熊本で始めましたが、やはり、一番のお客様は、東京や大阪におられ、九州ではなかなか消費が生まれませんでした。そうなると、熊本にあってのものづくりの難しさがあり、皆様とコスト競争になったのでは、うまく行かないということで、できるだけよそにない技術、当社独自の技術を取り入れたものづくりをと考えたわけです。そのような状況で、元々棚という金属製品を展開していましたが、書棚に車輪とハンドルを取り付けて、「ハンドル式移動棚」を我が国で初めて発明しまして、その特許のおかげで販売も伸び、大きく展開することができました。
豊田:
移動式棚は金剛さんが初めて造られ、それまではなかったのですか。
社長:
そうです。ハンドル式移動棚は世界初でしたが、今では特許も切れてしまってはいます。
豊田:
図書館の書棚は、人が書籍を探しに行くというのが基本だったように思いますが、その大原則を打ち破り、棚を動かすという発想の転換が根本だったのですね。
社長:
そうですね。その当時開発したのは、この前亡くなりました創業者である義理の父が、中途で入ってきてくれた技術者達とともに、金槌片手の時代に試行錯誤の上で発明したものでした。後で聞いたのですが、米国ではその時代に既に電動式の移動棚があったようで、それがヒントになったようです。当時は我が国がまだ高度成長時代の前ですから、電気を使ってというのが贅沢なというイメージが強かったようです。そこで、父親達は、自転車のペダルをみて、これならできるのではないかと考え造ったのが、あのハンドル式移動棚です。当時でいうと、まさに先進的な取組だった訳です。
九州でものづくりをするには、先進性が大事であり、それを通じてご愛顧いただける信頼関係が大切だということで、改めて、会社としての金剛を、私なりに分析して、信頼関係の「安心」と、ものづくり技術の「先進」が大きな柱になるということに気付き、それを持って「社会文化に貢献する」企業を目指そうということで、「安心と先進で社会文化に貢献する」を企業理念として掲げました。
豊田:
そこで掲げておられる「社会文化」はどのような意味でしょうか。
社長:
単に「社会に貢献する」でもよかったかも知れないのですが、我が社の製品は、図書館とか美術館などのバックヤードで仕事を多くしておりましたので「文化」という語を付け加えました。ただ、当初はそのように考えましたが、文化とは何なのかと社員達と改めて考えてみました。確かに、文化を持っているのは人間だけであり、動物社会では、文化といえるものを持たないわけで、人間が動物と違う本能のみで行動しない何かがあると感じます。
命だけを守るためであれば、文化はいらないわけで、人間が他の動物と違うのは、幸せなどの精神性を希求する気持ちがあって、それを求め続けることが「文化」ではないかと考えました。つまり文化とは人間を幸せにするための道具ではないかと。例えば、美術館・博物館が無くとも生きていけますが、絵を見て感動し、音楽を聴いて涙を流すという、このような文化の大切さを決して無視してはいけないと考えています。宗教も一つの文化ですが、ただ長く生きるということでなく、どう生きるかを、それぞれに考えて行くことが文化であり、そういう意味で、金剛が社会文化に貢献するということは、単に文化施設のところで何か商売をやろうということでなく、人々が幸せになるためのお手伝いをするメッセージだと考えようと、社員達と議論しています。
九州の中小企業で、社員への待遇も特に良いわけではないのですが、社員が誇りを持って仕事をしている姿から、社長に就任した2009年に理念を定め、事業規模の大きさや、利益率の高さだけを求めるのではなく、社会から「必要とされる企業」になることを目指すことこそが大切であると考え、中でも「先進技術」を通じて社会に貢献することを追求したいと考えています。
空間を作り出すことで価値を生む
豊田:
確かに人類の歴史を見てくるとき、人類がものを造りだしたり、火を利用したりする技術が「文明」を作り出しました。しかし、今もお話しされましたように、その文明だけでは、他人に対する想いなどはあまりなく、人が人間社会にあって幸せを希求するものが生まれるということが「文化」と感じます。そこに御社の社会文化に貢献することの神髄があるように感じました。
豊田:
その文化にも大きく関係するのではないかと思いますが、ホームページなどを拝見すると、企業ビジョンとして「信用づくり」⇒「ものづくり」⇒「人づくり」⇒「空間づくり」⇒「価値づくり」への流れ・拡がりを謳っておられますが、その意味するところをお教えいただけますか。
社長:
例えば、先ほどのハンドル式移動棚の場合、空間をより効率的に使うお手伝いができるということだったのです。それが金剛の求める一つの姿だったのですね。ところが、ただ、空間にものが沢山入ることだけが良いことなのか、それだけを目的として良いのか自問しました。お客様は、ただ単に沢山のものを詰め込むために金剛の棚を買っておられるだけでなく、よくよく話を聞いてみると、ものを効率的に使うために棚を導入するなど、本来の目的があるのですね。そのような話を突き詰めていくと、我々のやるべきことは、ただ空間を効率的に使うお手伝いだけでなく、その「お客様が求める価値を提供する」ことであると気づいたのです。
豊田:
そうですね、例えば図書館では、最初はいかに収容できる本の数を増やしたいという要求だったように思いますが、今や要求はいかに探したい本が効率よく探せて手に入るかなどに代わってきていますよね。
このような要求の変化に対応する空間デザインは、金剛さんの方で提案されるのでしょうか。
社長:
そうです。実はそれができる能力を目指しております。お客様がどのような価値を求めているか類推して、お客様にとっての価値づくりが提案できることを目指しています。提案ができなくとも、そのお手伝いをしたいと考えています。
確かに、図書館では、かつて沢山の書籍を入れたいとの要求が一番でしたが、いまや、利用者が少なくなりつつあり、それで単に本の数だけではないよねとなってきました。図書館はどうあるべきかとの議論がわき起こって、例えば、カフェが併設されたり、美術館が併設されたりと、最近は文化プラザのような総合的な文化施設であったり、いろいろな形態のものが生まれています。
このような形態の変化の中で、図書館を利用される皆様が何を求めているのかに気づかないと、私たちの棚は活かせないと言えます。つまり、いろいろな要求の中で、求められている雰囲気に合った棚を並べるべきであると考えます。そういうところに私達の意識が働いていかなければなりません。 昔は、社内では金剛の棚を沢山売った人が評価されていたのですが、今はお客様が求めることを、これから必要とされることを類推しながら提案し、お手伝いする人材こそ、金剛にとって必要で大事な人材なのだと。
このような観点から企業ビジョンを掲げました。これは社員の発案で、新鋭経営会にも参加させてもらったことのある社員らが、効率の良い棚を作るだけで良いのかと疑問を持ち始め、10年後のお客様の求めることにしっかり応えられるビジョンを持ちたいと考え、そのソリューションとして出すべき答えを導くことを強く意識していくために、企業ビジョンとして掲げています。
豊田:
それが商品戦略でもありますが、企業の戦略でもあるということですね。いや企業戦略を実現するための商品戦略であると。
この空間をデザインすることが、多くのところで評価を受けられ、多くの賞を受賞されていますね。
社長:
そうですね、ありがとうございます。確かにグッドデザイン賞など受賞しましたし、最近でも、私どもが関わった図書館そのものがグッドデザイン賞を受けた立教大学などの例もあります。
図書館そのものが賞を受けられ、そこに私どもの棚を納めさせていただいたのですが、かなり仕様の要求が厳しくて、例えば、棚の板の薄さはこれ程度に薄くないとダメですよと言われるのですが、やはり棚としての構造強度が問題で、強度を確保しつつどうするかについて技術者がいろいろと考えてくれ、結果的にデザインの要求に対応することとができました。それが賞にも結びついたことは本当に良かったと感じています。
豊田:
このようなデザインの要求に応えるためには、加工技術を支える人とともにデザインを支援する人材を抱えておられるということかと思いますが、ものを造る人材とデザインをされる人材の割合はどのようになっていますか。勿論デザインにも、意匠から生産設計、加工設計などいろいろなレベルのものがあるのですが、御社の規模から見てそれなりの人数を抱えることは厳しいとも予想されるのですが。
社長:
当社には、デザイン専門の人材がいるわけではありません。しかし、ご指摘いただいているように、デザインを重視することは、当社としても非常に重要と考えており、実際には、設計に、いわゆる(意匠)「デザイン」を勉強してもらっております。それから、デザインについては、外部からの意見が多くあり、例えば図書館を造るとき、図書館そのもののコンセプトがあり、その全体像をデザインされるデザイナーの方からいろいろな要求が出されます。例えば、有名な建築家の方がデザインされるときは、そこに家具デザインの方々がおられ、その方々から指示を受けるのですが、そこで私どもの方から、それだったらこういう造り方がというような逆提案などもして議論しながら、デザインを決めていきます。
豊田:
今お話しし頂いた、逆提案ができる能力が問われているのでしょうね。その提案能力をどのように維持するかにも配慮されているのでしょうね。
社長:
その通りで、逆提案できる人材養成には配慮しています。
関西地区ですと、近畿大学で、この前図書館がオープンしましたが、そこの棚を造らせていただきました。文化研究者の松岡正剛さんがコンセプトデザインをされていています。要求仕様はすごく厳しかったです(笑)。例えば、3メートルぐらいの高さの鉄板にデザインされた穴を開けて貼り付けるという仕様だったのですが、当社の加工機ではその大きさの鉄板に穴開け加工ができないので、3等分して加工し、それを繋げて完成品としたところ、NGが出まして、1枚板で造れと。それはできませんというと、造れるところを探せということになり、全国で探して結局外注することで納めさせていただきました。正直なところ、そういうことをすれば大赤字なのですが、それをやることが勉強ですね。後でデザイナーとお会いして、なぜあそこに切れ目があってはダメなのかのお話をうかがって納得しました。我々は、工場の論理で大きさに制限があり、当社の加工機ではこの大きさしかできないと作り側の論理でしたが、デザインとしては許せないことだったのです。
もし、先ほど先生が話されたように、デザイナーを納得させる逆提案ができればいいのですが、工場理論だけではダメだということを学びました。
豊田:
そのあたりが注文生産される商品の難しさなのでしょうね。一定の仕様・基準の商品を販売しているものでは、決まったとおりにできあがり、製品にばらつきが少なく、信頼性が高いことが重要ですね。一方、コンセプトがあっての製造を求められるような場合、お客様とのやりとりができることが大切で、それができる能力を持つことが生きてくるところに、御社の事業の面白いところでもあるのですね。
社長:
そうですね、普通のものづくりでは、一定の規格化されたものを目指せば良いのですが、当社は、料理屋さんでいうと注文を受けて造るというお寿司屋さんのようなもので、その注文に対応することで力をつけ、このような料理ができるのだとか、この料理ってこんな面白さがあるのだということを、自分たちも学んでいくことこそが大切と考えています。
企業形態を変えたターニングポイントは:熊本地震からの復旧でなく新しい工場への挑戦へ
豊田:
これまでは、金剛株式会社の目指される方向という観点からのお話を伺えましたが、御社は、ここに至るまでに70年の長い歴史を経ておられるのですが、その間には、いくつかのターニングポイントがあったかと思いますが、そのあたりの経営のポイントについてお話いただけますか。
社長:
我が社の経営のポイントは、大きくは3つの時期に分けられるでしょうか。
第1は、やはり、移動棚にチャレンジした昭和40年代で、昭和49年(1974)に移動棚を完成・商品化して販売しているのですが、そこが一つの大きな変換点でした。周りで造っているものと同じようなものを造って商売してなんとか食っていこうということから、初めて自分たちで開発して広めていこうということに変わったという大きなターニングポイントですね。
第2は、このようにして移動棚を使っていただいているなかで、これって地震に強いよねと気がついて、免震性能を取り入れた「免震式の棚」を造ったのが、1993年頃で阪神・淡路大震災の前でした。
豊田:
被害の大きかった阪神・淡路大震災以前に気がつかれたというのはどこかに契機があったのでしょうか。
社長:
確かに、阪神・淡路大震災では被害が大きかったのですが、それ以前で新潟地震などのようにいくつかの地震があり、書棚から書籍が飛び出すという被害が出ていたのです。それがあったので、阪神の2年ほど前に開発しました。実際に震災被害を軽減し、その当時としては高い評価をいただきました。
第3は、これまでのターニングポイントとは、スケールが違うともいうべき大きな転機が、今回の熊本地震です。2015年の決算まで6年連続で黒字を達成し、順調な推移を見てきたところでしたが、2016年の熊本地震の影響は大きくて赤字に転落しました。この地震で、赤字転落というよりは、今まで進めてきた自社の事業モデルが、何か大きく否定された感じもしました。
ただ、自分たちも新鋭経営会などでいろいろ勉強させていただく中で、このままのビジネスモデルではいつか行き詰まるのではと思っていました。そこに熊本地震に見舞われ、建物・設備の被害というよりは、ビジネスにリセットボタンを押されたような感じになりました。
そこで、我々が目指すべきものは何だろうかを真剣に議論して至った方向が、「復旧」でなく「新しい工場のあり方にチャレンジ」しようということになりました。
以上の3つが金剛にとっての大きなターニングポイントでした。
豊田:
今回の地震を契機に、単なる復興(註:復興は、いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ることであり、目指されるものは、元に戻るだけでない)でなく新しい形を作り出すに挑戦に向かうという大きな決断に対して、敬意を感じますとともに、その改革を心から期待しております。
豊田:
今後の目指す方向性について、強い志をお聞かせいただきましたが、さて、これからの事業形態として、同業他社もおられる中で、事業あるいは製品においてどのような差別化をお考えでしょうか。
社長:
勿論いま述べました地震からの復興ということで、新しいものづくりを展開していこうということは大きな転換期ではあるのですが、ただ、その中で目指す柱は、そんなにぶれる必要が無いと考えています。それで、先ほどお話ししました地震対策技術は、折角自分たちで造ってきたことの経験、そして今回の熊本地震で実際に自分が受けた体験は貴重であり、これを活かしていきたいと思います。今こそある意味チャンスでもあり、今後のものづくりに地震対策技術は一つの柱として育てていこうと考えています。
豊田:
20年も前の阪神大震災後には、私達も、建築構造の耐震性については、かなり長期にわたって、設計・材料・施工の面から総合的な研究活動を行っていました。構造屋さんは、免震・制振などの観点からいろいろな提案はあるのですが、書棚に代表される家具のようなものについて、構造に加えて、何か考えるべき視点があり、それが何かの開発につながるようなものはあるでしょうか。
社長:
なるほど重要なポイントを指摘頂いています。調べてみましたら、建物に対する地震対策は、法律や規則でかなり詳細に規定され、数値的にも明確な基準がありますが、それに対して、
私どもが扱っている書架や設備、また、今回の地震でひっくり返った工場設備などについては、条例などで地震対策しなさいとなってはいるのですが、具体的な基準がないのです。そこに建物と設備で大きな違いのある感じがしました。
豊田:
地震対策技術を講じられた御社の書棚は差別化が図れるということでしょうか。
社長:
だからこそ、この点については今後変えなきゃいけないし、変わっていくでしょう。その時に、はっきりと科学的な背景を明確に説明できるように、私たちも磨かなければならないし、それが実証できるものづくりをしなくてはならないと考えています。 これまでも我が社の技術者は地震対策を講じてきたと自負はしています。今回も、我が家でとんでもない状態になっているのに1メートル隣は何の被害もないという驚きの現象を目の当たりにしました。我が社では、以前から地震対策用にシミュレーション技術や加振装置を導入していて、耐震性の検討は進めているのですが、そうはいいながらも、一般論としての地震しか考慮してなかったのです。今回の熊本地震を経験すると、リアリティーのある評価に入り込めるようになり、差別化のためにもこの貴重な体験を活かさなければならないと考えています。
豊田:
このあたりが、今回の経験を事業に活かされるポイントでしょうね。
阪神・淡路大震災後の対策でも、得てして企画・基準となると、いきなり数値が規制値として上がってきました。すべき対応はそれだけではないだろうという感じは、実感した人しか分からないことでもあります。このあたりの工夫が大切なのでしょうね。
これから目指すべき方向の3つの柱:造り方の改革へ
豊田:
熊本地震を契機に変えようとされていることについてうかがってきましたが、これまで社長として、金剛株式会社の経営に携わってこられて、社長として残すべきもの、変えるべきものについてお考えをお聞かせ下さい。
社長:
実は、熊本地震で社員一同が、大きな怪我や命に関わることはなかったのですが、いろいろな被害を受けました。先ずは、経済的なダメージですね。家が倒壊して、まだ再建できてなく、仮住まいのものも沢山おりますし、また、精神的なダメージを受けたものもいます。そういう状況の中で、家族が病気をする、自分自身も調子が悪くなるなど、次々と問題が生じてきました。このような状況を見るとき、今こそ、社員を不安にさせないためにも、会社をしっかりさせ、方向性を明確に打ち出す必要があると思いました。
そこで、3つの柱を立てました。
まず、一つ目は「移動棚」技術で、これまで作り続けてきた移動棚の技術は、おかげさまで大きな幹となって育ってきました。安心と先進の実践例であり、これはこれからもしっかり伸ばしていこうと考えております。ただ、沢山造って安く売れば良いというわけでなく、いろいろなカスタマイズ・ニーズにしっかり応えられる方向性を示すことが重要と考えています。
二つ目は「地震対策技術」で、今回の熊本地震での経験からも分かるように、地震対策をとことん研鑽していくことです。地震のことだとあそこにこういう知見があるから、金剛に聞けというようになることが理想です。棚だけでなく、あそこに聞けば地震のことはよく分かるといわれる企業を目指そうと考えています。
そして、三つ目が「まだ見えない新しいものづくり改革」で、これから日本のものづくりは大きく変わる、世界のものづくりが大きく変わると考えられ、10年後にも耐えられるようなものづくりを目指そうとするものです。
この3つを柱に掲げて経営していこうと考えています。この三つ目の改革は、まだはっきりとは見えないものなので、こんなものですよとは言えないのですが、それなりにいろいろな先生方からお教え頂いたことや情報だったり、自分なりにいろいろなところを見に行ったりして得た情報などから、いま少しずつ改革の方向を描こうとしています。
豊田:
その近未来のものづくりについては、2つのコンセプトがあると思うのですが、まず「価値を創り出す」という、例えば新鋭経営会で藤井先生がWGで取り上げられました「価値の共創」の実現と、もう一つ「造る技術そのものの改革」があろうかと思います。もっと他にもあるかも知れませんが、この両者のうちで、造る技術の革新化の方向か、造るものの価値の創造の方か、どちらに重点を置かれますか。
社長:
勿論、両方なのですが、金剛株式会社としては、軸をおいているのは「造り方」の方です。まずその方向で最先端の工場を目指そうとしています。それは、神様がこれだけの試練を与えられたのですから、ここから立ち直るには、造り方で他をリードしていこうと話し合っています。
ただ、お話のあった、もう一つの価値づくりというか、価値を見いだすような視点は非常に大事なものと思っております。実は、子会社を作って、子会社と一部金剛の開発部署とで、新しい価値づくりを目指す仕組みを作っております。
豊田:
それは、いまや我が国のものづくりの企業が変わりつつある中で、どこに価値を見いだすか、また、その価値を誰と創り上げていくかが問われているわけで、今そこを成し遂げないと次のステップがないのではとも思われます。そこで、造り方については既にお話し頂いているように、AIやIoTが何か役割を果たすのではないかとのイメージがあるのですが、どのように考えられていますか。
社長:
実は既にある先生のご協力を得て、顧問に就任頂き、ものづくり現場の皆と議論してもらっています。そこでは、今度の第2工場にAIやIoTをどのように導入するかの検討を進めています。収納設備などへのAIやIoT技術の導入はさほど進んでおらず、ある意味チャレンジする大きなチャンスと考えています。私としては、この新工場で、一番手際よく造っていくということはどういうことだろうと考え、他分野の他社の取組なども見学させて頂きながら、先進的なものづくりのあり方について考えるに至っています。(インタビューでは詳細なお話も頂きましたが、詳細については金剛株式会社の今後の工場建設と設備・システムに期待下さい。)
豊田:
最近は、情報は溢れるほどあり、また、ものづくりなどで加工過程の情報を取るとか、造ったものの状態の変化などの情報を得ることはかなり容易になっています。要はあふれる情報をどのように活用してものづくりに活かすかが問われているとも言えますが、今後の新しい展開を大いに期待しております。
社長:
そうですね、私の勝手な夢を話させて頂くと、今まではものづくりは少品種の商品を金型でガッシャン、ガッシャンと大量生産することが主流であったように思いますが、少量で多品種生産ができるということは、いろいろなメーカーに応用展開できるということです。例えば、ある地震対策技術は、今までは金剛の棚にしか取りつけられませんでしたが、ライバルメーカーの棚にさえもその技術だけ導入してもらうことも容易にできるようになると思われます。
また、今度は地震のような被害を受けた後でも、いろいろなデータがとれますので、どこが変形したとか、どこに不具合があるかとかのデータを積み重ねていくことで、それらがバックデータとなって自社のものづくり技術の革新や、設計や材料などの改善で製品の信頼性の向上に繋げられるわけであり、いろいろと生じる事象が有効にものづくり技術の改革につながるようなシステムにしていきたいと考えています。
豊田:
今はいろいろなデータを取ることはどこでもできるでしょうが、お話のようなシステム化を図るには、どのようなデータをどこに活用するかの判断を行う人材が必要な感じもしますが、どのように考えておられますか。
社長:
それはAIに頼ることでないと思いますので、現在子会社の人材にもいろいろと勉強させており、期待したいところです。
また、震災からの復興計画を作っているときに、革新的ものづくり補助金を獲得し、今は、新しい生産現場にAIをうまく導入することを企画し、推し進めております。
ただ、 AIやIoTを単に生産ラインに導入することが変革ではないはずで、情報が社会全体とつながって工場が動かせる時代に入ることが予想され、その具体的な解が見つけられることを期待しております。
一方で、このような新しい時代にあって、先ほどもう一つの課題としてあげられました、価値の創造が重要で、この点については、金剛の社員と新しく作った子会社の社員に、自由な発想を大事にしつつ、大胆に取り組める環境を準備していきたいと考えております。
豊田:
この場合、自由な発想を担う人材が大切ですね。工場生産現場で、お客様の場で、あるいは製品のある図書館内でなど、いろいろな場面で、人々はみんな同じ事象を見ているのですが、その(多くの情報・データ)の中で、何が活用できるかの「目利き」ができるかが、一番大切なポイントですね。今までは、経験者が、情報の活用が見通せるといわれてきましたが、最近の若手の発想などを見ると、専門家でないものが大きな「気づき」を行うかも知れないとも思っています。
社長:
そうですね、これからの新しい気づきや目利きは意外なところから生まれるかも知れず、会社としてもそれらを見逃すことなく活用できる体制が必要でしょうね。このあたりの若手の活躍にも期待しています。
これからは、社長として、気づきの価値の判断が問われているのでしょうね。
必要人材の確保と養成の重要性
豊田:
これまでお話し頂いた点も含めて、やはり自社の人材は重要な問題かと思います。
熊本という土地にあって、人材を確保する点ではどうでしょうか。
社長:
そうですね、地震の後、残念ながら熊本の人口は減っているのです。こういうときだからこそ、熊本を元気にしなければいけないし、私どもの社員はここで働きがいがあり、しっかり生活もでき、仕事の喜びも感じるようになることが理想であり、そうなるように、何とか我が社の人材を守っていきたいと考えています。
ただ、先ほど指摘のありました、より生産性の高い新しい工場を、いま金剛として第1に目指しています。ところで、なぜ、ディープラーニングのようなこと行う人材を別会社にしたのかと問われそうですが、そちらの方の人材は、いまは社員が4人なのですが、熊本地震後に既に4件の特許を出願しています。金剛の社員が揃って生産性の高い新工場を創設するのに奔走しているときに、なぜ別会社で、自由な発想での人材養成をしているのかというと、確かに基礎体力を強化することも重要ですが、それだけでは、将来の事業を担う人材が出てこないことが懸念されます。そこで、敢えて別会社を作って、異なる環境下で切磋琢磨しながら開発研究を深化させたいと考えています。また、できるだけ外部の人との接点も多くして、いろいろな面での開発人材の養成につながることを狙い、少ない人材ですので、大学やスタートアップ企業など、他との連携を重視しています。
豊田:
いまお話のあった人材の養成に関する方法は、企業での人材養成、特に将来人材養成のあり方を考える点で非常に重要な視点ですね。別会社人材で、最後に発言されました、他者との連携で、どのような人々と連携するかが大きな課題かと思われます。
例えば、大学との産学共同研究でも、最近は、ものづくりだと工学部というわけで無く、相談に来られた話題からすれば、理工系でなく、医歯薬系の方が新しい拡がりがありそうだということで、これまで全くつながりの無かったところとの連携で、革新的な成果が出ている例も多くあり、いまや異分野というか異なる発想が非常に重要ですね。(ここでは書けませんが、想像を超える異分野(の視点)の連携の具体的な事例を例示して議論も。)
社長:
そうです、同業者とのつながりだけでは意味がありません。大きく異なる分野とのつながりが大切ですが、そこには難しさもあります。このあたりの考え方への拡がりについては、今後、社としても展開を期待しているところです。
一方、異分野との融合というような視点では、営業が外で得てくる情報が大切であり、いろいろな情報の共有とその中から課題を見つける目利きも重視しています。
豊田:
将来人材も重要ですが、最近は、中小企業の人材確保には大変苦労しておられることを聞いておりますが。
社長:
確かに、本社でも辞めていく人などへの対応や、新規採用にも苦労しており、来年の春もかなり増員を考えており、たまたま今のところは確保できてはいますが、25人内定を出し、既に3名の辞退者がでています。やはり人材確保は大きな課題と考えています。
豊田:
人材という点では、現在、女性が注目されています。金剛さんには女性従業員は多い方ですか。
社長:
かなり増えてきております。特に私が社長になってからは、多様性を主眼において女性の採用を増やしました。
豊田:
現在女性活躍社会の環境整備をお願いして回っているのですが、各企業では女性の採用には二つの視点を考えられているようです。一つは、女性の新しい発想・視点のよる新しい価値を生む、二つ目は、将来の雇用確保で、女性採用は欠かせない、との視点から必要であると判断されているようですが。熊本は女性の採用がしやすい方でしょうか。
社長:
これまで女性の就職が難しかったのですが、最近は変わりつつあり、名前は金剛なのに女性の採用が多いのかとも言われました(笑)。昨年度などは、男女同数内定していたのに、男性の辞退者が多くて、結果として女性がかなり多くなりました。来年度の採用では、新工場のこともあり、システム系を多く採用したこともあって、少し男性が多いのですが、男女比率が3:2となっています。
確かに、これまでの工場では、体力勝負のようなところがあり、男性でないと無理かなというようなものづくりをしていましたが、新しい第2工場の方では、女性でも十分に働いて頂けるようなものづくりとなっており、これから大きく変わってくると思われ、ある意味男女の区別がなくなってくるでしょう。
いずれにしても、中小企業にとって人材確保は将来にわたって重要な課題ですね。
社会貢献と社員教育
豊田:
既にかなりの時間を頂戴し、そろそろまとめにと考えていますが、社長はかなり社外の活動を通じて、社会に貢献されているとうかがっておりますが。特に、熊本の財界活動などでご多忙では。
社長:
そうですね、現在は、熊本県工業連合会の副会長を務めておりますが、地震からの復興である意味多忙な状況です。東日本大震災後の復興に、うまくいったところ、うまくいかなかったところが検証され、熊本地震後の復興に対しては、国からは各団体で対策をどんどん立てて行くということになったのです。その上で、例えば、壊れた工場再建には国と県で3/4を補助するので復旧させなさいという制度となっているのですが、この申請を工業連合会単位で出してくれということになりました。したがって、工業連合会の役割がものすごく大きく、作業のボリュームが増えたとともに重要性が大きくなってきました。私どもの工業連合会がまとめて行政や政界への働きを行うこと、また、復興の工事が進まないので、期限に配慮して欲しいなどの陳情などの行動なども行うことで多忙となり、このような地震後の対応で奔走しております。
豊田:
団体で取り纏めとなると、個々の企業との調整もあり、本当に大変ですね。
社長:
そうなのです、いま傘下には300社以上もの会社があり、それを代表してということで大変なのですが、逆に言えば、地震からの復興を通じて、企業間の繋がりが強くなり、お互い様という感情が芽生えています。このような役割を果たしていますと、ご苦労さまと感謝の言葉を頂き、ありがたいことですし、また、皆様にお願いすることもし易くなってきています。
(註:主な外部活動;熊本県労働審議会、熊本県環境保全協議会、ほか県内団体役員、九州セーフファニチュア協同組合、日本物流システム機器協会、日本オフィス家具協会、等役員)
豊田:
このような社会貢献をされていますと、リスペクトされることが、大きなモチベーションですね。互いにリスペクトしなければ、このような活動が続かないでしょうね。
社長:
多分、熊本の人の特性なども関係するかと思いますが、大きな被害を受けた状況下でもあり、熊本県人としてのまとまりが良いと感じています。
地震から1年経過しましたので、県内のみの行動のみでなく、全国各地の皆様も次はとの心配もしておられるので、こちらではどのように復興に進んでいるか、その対応の進め方と課題などの情報を広くお知らせするのも役割と考えています。
例えば、他地域の経済団体からも視察に来られたりしており、ご協力してお話しすることにしています。先日は、日銀のトップがお越しになり、再建の投資額60億円の利息の話になって、超低金利で融資を受けているとのお話もしました。
豊田:
地震後に、自らの復興以外に他分野への貢献などの活動もされましたか。
社長:
もともと図書館の仕事をしていると、学校との繋がりが大きいものですから、私ども自体が学校などの教育機関に関与する機会も多くあります。地震直後も、ある公立の図書館で大きな被害が出まして、ちょうど4月でしたので、社内の復旧も大変な時期ではあったのですが、この機会に新入社員達を、被災地に行かせ、復旧を手伝わせることにしました。勿論図書館からも感謝されているのですが、我が社の社員にとっても教育効果が非常に大きかったと考えています。非常事態において、図書館のような公共的な機関が、復旧に当たって何を重視し、復旧の手順をどのように考えているかを学ぶことができるわけで、この経験はきっと役立ててくれると願っています。
また、熊本も、地震前から産学官連携を深化させようと、熊本大学などが計画を強く進めておられます。そこでは、大学の持つ資源をいかに社会に還元するかの計画であり、いかに企業と組んで推進するかが問われているところです。このような単なる地震からの復旧というだけでなく、熊本の将来の成長を見据えた発展への動きについても協力しております。
人生観と後進への想いは
豊田:
それでは、社長の人生観をお聞かせ下さいますか。
社長:
私自体は、元々別の業界にいて、たまたま身内ということで義父から経営を引き継ぎましたが、それまでの間にもいろいろな運命的なこともありました。先日創業者が亡くなりましたが、創業者と生前いろいろな話をするなかで、むやみに抗うなということをよく言われました。ある流れで来ているときに、無理にやろうとしても決してうまく行かない。ただ、流されてもダメで、流れを読むことが重要であると。その意味で、ゆとりが大切であるといわれていて、私もあまりにも背伸びしたり、あるいはしぼんでしまったりと、そのようなことにならずに、あるがままにいま与えられているこれが運命だなと考えて生きていきたいと思っています。
豊田:
あるがままにということは一番難しいですね。あらがわず、無駄な抵抗をしないの、無駄の判断も非常に難しいですね。
社長:
そうですね。そういう意味では、この前の地震の時には義父がまだおりまして、「震災によって20億失いました。その20億取り返しましょうかね。いや、これまでにいろいろな方々から今後のものづくりや経営についての話を聞いていることからも、復旧を超えた挑戦をしてみたい」と話をしたら、「やっていいぞ」といわれ、スムーズな流れができたように感じて、この流れに乗ればいいのだと感じました。これも人生観の「運命に抗わない」の表れかと。
豊田:
ところで、社長の趣味は何ですか。
社長:
読書と人と会うことでしょうか。
豊田:
やはり書棚を作っておられるだけのことはありますね(笑)。
もうひとつ「人と会うこと」もすごいことですね。
社長:
そうですね、新鋭経営会でも多くの経営者の方々とお会いし、特に昨年に地震の直後に、新鋭経営会の皆様から手書きの寄書きで暖かい言葉を頂くことができ、本当にうれしかったです。何というのか、一人一人の顔が浮かんできて、一人ではないのだと感じさせて頂きました。
このように人との出会いは素晴らしいものです。
豊田:
それでは、後進に是非伝えたい、遺したい言葉はどうでしょうか。
社長:
少し大げさな話になりますが、私自身も運命で会社経営という立場になりましたが、自分は何のために生まれてきたのかとよく考えました。勿論未だに答えが見えるわけではないのですが、ただ、この前亡くなった父の最後の言葉であったり、つい先日亡くなられた私が尊敬している方の生き様や亡くなられる間際のことを聞かせて頂いて、やっぱり、私たちは「生かされている」のだとつくづく思いました。勿論自分にはプライドや、背負うものがありますが、大きな生き物のパーツでしかなく、子や孫に命のバトンを渡しているに過ぎないこと、そして最後は人類という大きな生き物の一部の役割を果たすだけかなと思いました。そう考えると一生のとらえ方にはいろいろあるかと思いますが、頑張れば頑張った分だけ楽しいし、あまり難しく考えずに、やりたいことにチャレンジしてみたら、ということを伝えたいですね。
豊田:
それでは、最後に社長の座右の銘を。
社長:
はい、「壷中に天あり」(下注参照)ですね。
豊田:
それは「六中観」の一つですよね。なぜ5番目のそれなのですか。
社長:
もともとの故事成語があって、中国で出店にいるおじいさんが、夕方になると消える。様子を見に行くと夕方になると壺の中に消えて、追っかけて壺の中に入っていたら、壺の中は別世界のパラダイスであった。おじいさんはそれを極めた仙人だったのですが、いわばどの世界にも極めれば「天」があるということで、それは天への繋がりでもあるということでしょう。だから、仕事でも趣味でも極めた人は天につながり、人生にチャレンジすることをひたむきに行えば良いのではとの想いです。
註:
陽明学の安岡正篤の『六中観』:
『死中有活 苦中有楽 忙中有閑 壺中有天 意中有人 腹中有書』の六中観の中の“壺中有天”は下記の小路による。
中国の故事;『後漢書・方術伝下・費長房伝』から:
「中国後漢の時代のこと、費長房なる役人が市場を取り締まる役に就いていた。その市場に薬を商う一人の老翁がいて、店先には大きな壺が置いてあった。ある夕暮れ時、その役人が見ているとこの老翁、商いが終わると店を閉めて、その壺の中にヒョイと入り込んでしまった。何と不思議なこともあるものと、翌日その老翁を問い詰めたところ、ついには壺の中に連れて行ってもらうことに。そこには荘厳を極めた玉殿があり、美酒と佳肴が溢れるこの世のものとは思えない別天地であった。この役人は暫し俗世を忘れて、酒を酌み交わし、別世界を遊んだ。」という話。
“壺中天”とは “壺中に天有り” と読みその意味は、次のように理解されている。
1)この世の別天地・別世界
2)仕事を離れた時の本当の自分の世界
3)酒を飲んで俗世を忘れる愉し
豊田:
本日は、誠に長時間にわたりありがとうございました。昨年熊本地震で被災され、その復興を通じての田中社長の経営への想いをいろいろな面からお聞かせいただきました。田中社長の、誠実な想いを感じさせる話を頂きありがとうございました。
今回の被災からの復興を新しい発展に繋げようとしておられます金剛株式会社の更なる展開に辣腕を発揮されますことを期待しつつ、本日のインタビューを終わらせていただきます。
(インタビュー後記)
インタビューの内容からも分かるように、熊本地震による被害からの復興への想いが大きく、ただ、金剛株式会社のみでなく、地元熊本の経済界の復興への想いが強く感じられました。地元愛と、田中社長の他を思いやる気持ちの表れでもあり、人生観の「運命に抗わない。あるがままに生きていきたい。」を実感しました。また、その想いの強さは、単なる復興でなく、新工場の創設に、ものづくり技術に新しい改革を求め、これまでにないものづくり工場を目指すとの、実に前向きな想いをひしひしと感じました。熊本地震という大きな負の経験ですが、田中社長の積極的な姿勢が社員の皆様の意欲を引き出すことにつながったのではないでしょうか。
今回のインタビューでは熊本地震への対応などにかなりの時間を割いて頂きましたが、その貴重な経験と、大きな災害時へのリスクマネージメントを乗り越えて、新たな方向を目指すという意欲高い挑戦の話など大いに参考になることが多いと考えて、多くの時間を割き、詳細を語っていただきました。きっと多くの他の経営者にも示唆に富むものと考えています。
事業としての空間づくりから社会的な価値づくりに展開しようとする熱い想いがインタビューの言葉にも表れており、まさに「壺中に天有り」の自らの本当の別天地・別世界の実現につながるものと感じました。
田中社長の意欲ある取組が、熊本地震からの復興を超える新しい流れをもたらされるものと確信しつつインタビューを終えました。