インタビュー・シリーズ
ーinterviewー

第16回対談:株式会社DG TAKANO 代表取締役 高野 雅彰 氏(2019年1月全文公開予定)

インタビューにむけて

 

豊田会長代行(以下、豊田):
 本日は株式会社DG TAKANOの大阪オフィスを訪問し,高野社長にインタビューさせていただきます。
 高野社長は,「世の中にないアイデアで、世の中にまだ存在しない『組織』を作りたい。」と謳っておられるように,デザインの思考に新しい流れを創り出しておられ,また,放たれる言葉全てが人を引きつける魅力を持つものであり,常に「新しい解」を求めて活動すると共に,有意な人財の養成にも大きな力を注いでおられます。これまでにも,高野社長のものづくりと経営に対する想いは,「“超”モノづくり部品大賞での大賞」の受賞,日本全国の成長ベンチャー”100社や,「2020年未来を創る」ベンチャー企業10社に選ばれ,更には,環境技術・製品を開発した特に優れた中小・ベンチャー企業に贈られる「ゴールドエコテック」を受賞されているなど,企業経営とものづくりへの創造性は高く評価されております。
 本日は,企業経営の根底にあるものや新しい流れを創る発想の原点などについて,これまでの数々の製品開発と人財養成の経験,更に今後の展開などの経営の神髄を伺えることを楽しみにしております。

 

町工場からのベンチャー起業へ

 

豊田:
 高野社長は,いろいろと意味の深い言葉を創造しておられ,本日はそれらの言葉の本質・意味をお伺いすることになるのではと感じておりますが,先ずは,(株)DG TAKANOの沿革からお伺いしましょう。

 

高野社長(以下、社長):
 そうですね,私は東大阪の町工場の3代目として育ちまして,創業は祖父ですが,祖父は比較的早く亡くなり,父親が20代で,急遽継がなければならないとなりました。しかし,父親は職人としては一人前でもなく,当時は会社の経営も大変な時期で,当時いた職人さんたちも辞めていったのですが,一人の熟練の職人さんに父親が一人前になるまではということでとどまってもらい,まさに家内工業として細々と行っていました。その当時製作していたのは,ガス器具の流量を調節するガス栓で,その製作はかなり難しく,圧力のかかったガスを止めるのに2/1000mmの誤差に抑える加工精度が必要だったのです。その精度の数値は後々に測れるようになって分かったのですが,まさに職人の神業で一つ一つ造っていたのです。母親は経理をやり,場合によっては検品もするなど,まさに家内工業でした。
 両親は,毎日遅くまで働き,決して豊かな生活ではありませんでした。

 

社長:
 その父親の背中を見て育ってきましたが,私は家業を絶対継ぐつもりも無かったし,親も継いでもらわなくとも,よい仕事があるのならそれでよいので,もっと勉強して医者でも目指せと言うことでした。
 医者の息子は医者になり,公務員の息子は公務員と言うのはよくありますが,町工場の息子は,苦労が分かっているだけに,町工場を必ずしも継がないのです。そのように,町工場は継ぐつもりは無かったのですが,サラリーマンにも魅力を感じませんでした。60,65歳まで働いて,退職金をもらっても,もはやあまり遊べるわけでもない,このような生活は望みませんでした。

 

豊田:
 あれは・・,これは・・,という感じですが,そこで何を目指されたのですか。

 

社長:
 目標として40歳までに一生分を稼いで,そこで引退する計画を考えました。そのような気持ちで起業したのです。
 この点は,他のベンチャーの社長さんたちと大きく違うところで,多くのベンチャー社長さんは,世の中をこのようにしたいという崇高な夢を持って起業する人が多く,現在,東京でお付き合いいただいている社長さんたちは,このようなことを語る人がいっぱいおられます。
 ところが,私は大阪で育っているので,「理想でなくてお金や」的な考えだったのです。最初は,本当に40歳までで一生分稼いでやろうと思って起業したのです。

 

豊田:
 それが「株式会社DG TAKANO」だったのですか。

 

「節水」機能の「Bubble90」が大売れするまでの経緯:開発と販売の繋がりの妙

 

社長:
 そうです。2010年に設立しました。その前の2008年にデザイナーズ・ギルドという合同会社を設立しています。これはITの会社として作りました。当時は,起業するとしてもITの事業しかないと判断しました。IT業界に3年間サラリーマンとして従事し,IT事業を立ち上げました。
 たまたま最初の事業は,ある他社からネットで販売して欲しいということで製品が持ち込まれました。そこで,これは何ですかと伺いましたところ,節水コマだというのです。町工場で育った私に取って製造原価はすぐに分かるわけで,なぜこのようなものがこんな値段で売れるのかと思ったのです。そのような状況から,世の中には「節水」の要求があるということを知ったわけです。そこで,市場を調べていくと,大企業はどこも参入してなく中小企業ばかりで,しかも環境系の会社ばかりだと分かりました。環境を合い言葉にして,どことなくうさんくさく,ものづくり系の企業がどこも参入していないので,製品のレベルが非常に低いと感じました。これならば,がんばって良いもの造れば,「一番」になれると思ったのです。
 
 

豊田:
 それが「Bubble90」という製品の開発につながったのですね。

 

社長:
 そうです。「水」という分野は,今後,水不足が深刻化することが予想されますので,国内的にも国外的にもどんどん拡大していく市場であると判断し,ここは参入しても面白いなと思って開発を始めました。それが2008年です。
 2008年の5月からスタートし,特許の詳細な調査などを行い2009年3月にドイツ・ベルリンでの展示会に出品することにしました。展示会には,本当は何ヶ月も前に申し込む必要があるので,その頃にはできているだろうとのことで申し込んだのですが,さて,製品ができあがったのは,飛行機に乗る当日の早朝で,製品を握りしめて飛行機に飛び乗ってベルリンまで行きました。
 製品はできたものの,商品名も何も決まっていないし,パンフレットもない状態で,行きの飛行機の中で,イラストレータでパンフレットを作成しました。名前も,バブルが出ているし,90%節水ということでBubble90とし,結局今もそのままになりましたが。

 

社長:
 このような慌ただしい開発の経緯でベルリンに着き,現地でホームセンターを探して,水槽やホースを買ったりして,展示にこぎ着けました。展示場で実演すると,すごく評判がよくて,日本製ですごい製品が出てきたと評価され,すぐに売って欲しいと言ってくる人も。これはニーズが高いなと感じました。
 そして帰ってきて,「“超”モノづくり部品大賞」に応募したらグランプリが取れ,ここまでは苦労はしましたが非常に順調でした。2008年にデザイナーズ・ギルドを設立し,1年で商品開発まで至った,しかも,日本一の称号さえももらえ,ここまではよかったのですが,そこからが大変で,5年間ぐらい売れなかったのです。

 

豊田:
 ドイツであれだけ評判が高かったのに,日本では売れなかったのですね。日本は十分に水があり,「節水」の意識が低いのでしょうね。

 

社長:
 そうです,海外では評価が高いのですが,売れないし,輸出の経験もないし,どのようにして国内で販売力を蓄えるべきかを考えました。
 先ずは,国内と言うことでしたが,当時は節電が謳われ,LED一辺倒の時代で,節水はまだまだ先で,興味もない時代でした。大企業へアプローチするにも,コネがないので,下からいくわけですが,コスト削減の話は下から上がっていかないのです。誰も会社のコストに興味がないのです。だから,1年,2年放っておかれて,その後担当が変わりましたというような状況の繰り返しで,全然売れない状態が続きました。
 そうしているときに,顧問弁護士の紹介で,東京のベンチャー企業に面白い社長さんがいるということで紹介していただきました。その社長さんは居酒屋さんを100軒ほど展開しておられたり,ホテルを経営しておられたりと,バリバリの社長さんで,彼が運営している居酒屋さんでテストしてもらいました。そうすると,17万だった水道代が6万円まで下がったということで,これはすごい,これはどういうことだ,信じられないということになりました。
 この評価を見ると,この商品は大企業に持って行くものでなく「居酒屋」だと感じ,ターゲットを切り替えたのです。その社長さんと一緒に,2014年の春に,東京に販売会社DG SALESを設立して,居酒屋さんに直接販売することにしました。これまでは商社に売ってもらおうとしていましたが,こちらは販売力がないことを知っていますから足下を見られて奴隷契約のような契約書しか提示されず契約に至りませんでした。商社に頼らず直接エンドユーザに届けるしか方法がないということで,レストラン系の展示会などにどしどし出して実演して,希望されるお店に全部付けて回りました。2000個ぐらいただで配り,2ヶ月後の水道代を確認してくださいということにすると,水道代が激減しているので,これは全店付けようということになったり,レストラン業界でも口コミで拡がったりして,一気に2014年売り上げが上がっていきました。
 2013年にはこのままでは潰れるという経営状態で1億5千万円の赤字からV字回復で赤字も解消するに至りました。

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